2012年05月02日

後ろを見てばっかりだ

4月全く更新してない件。
書くこと自体は自己満足だから別にいいんだけど、ネタがないのが何より驚くね。というか参るね。

何をしているのか。
何もしていないんです。実は。しいて言うなら生存か。ナンダヨ生存って。

花見に行ったり、中華街に行ったり、八景島に行ったり、蔦屋書店に行ったり、ヒカリエに行ったり、イベントだけ並べると遊びまくっているようですが、当人的にはあんまり興味をそそられる出来事ではないのです。なんだろう、感覚的に近いのは義務感だろうか。





4年間。
いつまでも学生気分の抜けない僕からすれば、大学をもう一度卒業するに足りる年数が過ぎていたという事実は驚きだ。
惚と過ごしていたわけではないけれど(少なくとも自己認識として)、
時間の経過を忘れるくらいには熱中していたように思う。

僕が社会人として培った成果は、一言で言って運がいいことに由来する。
無論、なし得た事実は僅かばかりのプライドを以って実力だということにしておくけれど、その采配とめぐり合わせはただの運に過ぎない。
まるで物語のように。話は次にすすむ。

就職活動には余裕があり、1年目は広域災害とヘビークレームを経験し、2年目にはリーダー役、3年目でチーフに上がったと思ったら地震が来て、4年目はなんでも屋。恵まれた環境から、大変使い勝手のいい社員に育ててもらった。

なんだ、そんなこと。
新米の社会人とってべつに特別なことではないのだろうけど、震災をターニングポイントとして、モデルケースとイレギュラーケースの両方を知り、両方を体験できたことは幸福なことなんだろう。

会社の名札を借りるのは面白い。
一個人では実現不可能なことができる。課される責務は等価値どころか明らかに過剰だけど。でもそれでも、普通じゃできないことができる。
もっと冴えたやり方は無いのかと行動の未知を埋めるうちに1年が終わり、2年が経ち、4年が過ぎた。困ったことにこの作業、一定の制限はあるものの果てが無い。だからいつまでだって関わっていられる。

我ながら恐ろしい思考だけど。
ここまで続いたのはきっと興味と好奇心が原動力なんだろうし、それに際限がないというのはもう本当にどうしようもない。

やりたいようにやる。選びたい手段が無ければ作る。
僕にとって仕事はその繰り返しでしかない。

こんなものを楽しんでいる僕の世界はきっと狭くて退屈だ。
ポケモンを見たことが無いからずっとテトリスで遊んでいる子供。そんなイメージ。

打開にはもっと人生的なナニカが必要だろう。





つまんねー人間だなと思うわけです。
先日もAmeliaと話していて思いましたが、仕事の話くらいしか突っ込みどころのない自分がいるわけです。おいおいそりゃ17時前の話題でしょうよ、もっとなんかこう、イブンカコウリュウ的な話題ってないの、貴方。みたいな。

世間話にしても精々、よそ様で評判のスポットを訪れてみたり、体験してみたりが限界で。お前はどこのマニュアルくんですか。

だからほら、義務感。ね。

殊更にいうことではないのですが、想像力を働かせるトレーニングをよくやります。仕事柄。会社のカネを盗った「犯人」を追い詰めるときもありますのでね。
その応用というか、人の行動を推理することも多いのですけど(how ないし why)、日常的にそんなこと推論すると、なんでもやった気になってしまうのがよくない。参考書を買うと勉強した気になる現象。

うーん。

なんだかそれも物ぐさな自分への言い訳にしかなっていないように思えますが、、、
なんというか、結局、根源的なところで出不精な自分が首を絞めているんだよ。

つまり、4月もよく働きましたということです。
きっと今月もよく働くし、来月も結構働きます。

プロ社畜まじぱねー。
posted by Teddy at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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